【驚愕】これが山手線の区間と信じますか?

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鉄道雑学

※更新日2020/12/15

みなさん、こんにちは!

やくてつです!

東京の近くに住んでる人にとっては、馬鹿な質問をします!

「山手線に乗ったことはありますか?」

今、東京に行ったことある人から

「当たり前だ!馬鹿にするな!」

っていう心の声が聞こえてきました…w

申し訳ございません…

ですが!!!!!!!!!!!!!!!

早速で、申し訳ないのですがあなたは以下のように考えたことってありますか?

「山手線の終点ってどこ?」

「山手線って最初から丸かったの?」

「山手線って起点はどこ?」

などなど、もしかしたら疑問に思ったことがある方もいるかもしれませんが

考えたこともない方が大半だと思います!

そこで今日は、上に書いた疑問を持つ人のために私が代わりに調べたのでぜひ最後までご覧ください!

そもそも、山手線の読み方はやまて?やまのて?

あなたは、山手線をなんて呼んでいますか?

やまて?

やまのて?

どっちが正しいと思いますか?w

正解は、、、、、、、、

一時期はやまて、本当はやまのて!

でした!

実際に、やまて線と呼ばれていた時期は終戦後です

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で日本人のみならず世界中の人にわかりやすいように、ローマ字で表記することを命令された国鉄(現JR)は山手線のローマ字をYAMATEと表記してしまったために、「やまて」という呼び方が定着してしまいました。

しかし、山手線開通当時も今も変わらず正式な読み方は「やまのてせん」なのであなたも話すときは「やまのてせん」と読みましょう!

それでは、この章の最後に山手とは何か?について話していきたいと思います。

山手とは、なんでしょうか…

「山手線の駅に山手駅はない…」

「山のようなのも近くにないよな…」

それでは、どこから「山手」という名前がついたのでしょうか。

それは、山手とは…

やまのて、つまり高台を意味しているから!

それじゃあ、高台ってどこだよって思うかもしれません。

しかし、東京の地形図を見てみると、神田、秋葉原、御徒町などの山手線の右側の方は低地になっていて反対に新宿、渋谷、目黒側は高台になっているんですね。

そこから、新宿などの高台を走る電車として「山手線」と名付けられました!

山手線の正式な読み方は、「やまのてせん」だった!

山手とは、高台のことだった

赤羽にもかつて山手線が走っていた!?

東京都北区に「赤羽」という駅がありますが現在は山手線は通っていません。

しかし、題名にもあるとおり山手線は赤羽駅をかつて通っていました。

「え!?どういうこと?」

そう思いましたよねw

今から優しく解説していくので、ぜひご覧ください!

山手線が開通する前に上野を起点とした、現在の高崎線が開通していました。

そして、東京の南側には汐留(現新橋駅)を起点とした東海道本線が通っていました。

そこで、高崎線と東海道線を結ぶために、東京の新宿を経由したルートで建設されたのが山手線です。

上野から新橋は、現在の神田、東京のルートを経由して行く方が圧倒的近道ですがなぜ山手線は池袋、新宿を経由して高崎線と東海道線を繋いだのでしょうか。

それは、神田、日本橋近辺の土地交渉が難航したからでした。

そして、鉄道を敷くことを諦めることはしたくなかったので赤羽から池袋、新宿、渋谷を経由して品川まで結ぶ品川線を開通させました。

その品川線が、名前を変更して山手線という名前になりました!

なので、開業当時の山手線は赤羽から品川までを新宿経由でむすぶ路線だったのですね!

以上が、山手線は赤羽駅を通っていた理由です!

開業当時は、山手線は赤羽から品川を新宿経由でむすぶ路線だった。

赤羽が山手線から外された理由

先に言った通り、山手線は赤羽から品川を新宿経由でむすぶ路線でした。

では、なぜ赤羽駅は山手線の駅から外されてしまったのでしょうか…

それには、驚きの理由があります…

結論から言うと、田端駅の開業と同時に土浦線(現常磐線の一部)が田端駅に乗り入れを開始したからです。

「常磐線が田端!?今通ってなくね?」

「土浦線が田端に乗り入れるのってそんなに重要?」

って思いますよね!

実は、昔は超絶重要だったんです。

茨城には常磐炭田という炭田がありました。

その炭田と貿易で栄えた横浜をむすぶために、土浦線が田端に乗り入れを開始しました。

さらに、炭田で採れた石炭をスムーズに横浜へ運ぶためにはすでに開通していた山手線とつなげるか、上野から新橋へ新たな鉄道を通すかしかありませんでした。

さっき述べたように、神田、日本橋あたりの土地交渉が難航していました。

なので、田端から山手線につなげる方が簡単に鉄道を引けそうだったので、田端から池袋までに新たな鉄道を敷くことにしました。

その田端から池袋まで豊島線(現山手線の一部)を敷くことによって、池袋で山手線の本線(品川線の一部。池袋、赤羽間)と豊島線(池袋、田端間)が合流することになりました。

そして、すぐに日本鉄道(後の国鉄)が「豊島線と品川線を合わせて山手線」ということに決めました。

なので、当時は山手線の本線(旧品川線)と山手線の支線(旧豊島線)がありました。

しかし、そこで日露戦争が勃発してしまいました。

そうすると石炭などの物資が大量に必要になるので、以前までは山手線の本線的だったのは赤羽、池袋間でしたが資源が必要になったことにより田端、池袋間の方が本線的傾向が次第に強くなっていきました。

そうして、いろいろな過程をを経て旧豊島線(田端、池袋間)の方が発展が進みました。

その、発展から取り残される形になった旧品川線(赤羽池袋間)は1972年に山手線から正式に外され、赤羽線(通称埼京線)という名称に改名しました。

そうして、山手線から赤羽駅が外されたのでした…

意外と最近の話ですよね…

山手線から赤羽線に改名されたことにより、赤羽駅が山手線から外された。

こうして山手線の起点と終点は、田端と品川になった

そろそろお分かりでしょうか?

結論から言うと、山手線の起点と終点は

田端と品川です

超意外じゃないですか?w

元々は、赤羽から品川を結んでいた路線(品川線)が上記のいろいろなことが起こり田端池袋間が開業して本線が田端池袋間になり赤羽池袋間は発展から取り残されて赤羽線になり、山手線の本線が田端池袋間になってしまったと言う超意外な事実w

これだから、鉄道は面白くて超ディープなんですよねw

このブログでは、これからもこのような鉄道のディープな話をしていくのでぜひよろしくお願いします!

それでは、今回の記事は終わりにしたいと思います!

最後まで、ご閲覧ありがとうございました!

解説してほしい鉄道の話などがございましたら、ぜひお気軽にお申し付けください!

それでは、今回の記事のまとめです。

山手線の読み方は「やまのてせん」

品川線(赤羽から新宿を経由して品川に至る)と豊島線(田端から池袋)を合わせて山手線とした。

その後、豊島線側が本線になり品川線の一部(赤羽から池袋間)は赤羽線として分離された

そうして、山手線の起点と終点は田端と品川になった。

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